俺のウエスタン人生バナー

ウエスタンBライン
第四部 VOL.15 (No.1)
        
新たなる"俺のウエスタン人生"

 まれて始めての海外、それも憧れのアメリカに行った話。
前にも書きましたがウエスタンに興味をもって30有余年、西部劇からモデルガン、仲間との出会い、乗馬の旅、どれもこれも私にとっては捨て難い思い出でもあるし、俺のウエスタン人生を飾った人達であります。しかし私にはRopingという夢があります。いつまでも思い出にひたっている訳にはいかないのです、限りある人生ですから。
 これは私の夢を叶えてくれたて男達の物語です。

憧れのアメリカ空路

 アメリカは、地図と西部劇しか見た事がない。地平線、大草原、茶褐色の高原のイメージがあるだけである。ウエスタンを愛し焦がれたアメリカ、1993年5月23日、記念すべき日がとうとうやって来た。Cowboyの国アメリカ、不安と希望が入り乱れている。テキサスポスター

 んでアメリカ行く事になったか、私が保険の契約替えしたら配当金が少し残ったので、それに円高の影響が手助けとなり行く事になった。それでもなければ一生外国なんて行けやしないよ。同行してくれるのは、私のウエスタン乗馬の師匠、土岐田氏(以後Toki)。
 私の目的は、Ropingの勉強、Tokiさんは所用である。前もってTokiさんにRoperを探してもらってはいたが、Calf RopingなのかTeam Ropingなのか現地に着くまで分からなかった。 自分としてもどちらが良いのか分からない、日本人の大半がRopingのイメージはCalf Roping(仔牛を捕まえる)が強い、しかしVideoなど見るとかなりハードだ。体力的に無理かなと思ったり。Team Ropingは馬に乗ったまま親牛を捕まえる。最終的にRopingならばどちらでも良い、本物に出会えるのならば。

 立ちにあたってTokiさんが条件を出してきた。宿は同じ、朝夕の送迎はやるが目的地に着いたら別行動。

「ま、別行動といっても海外は始めて、ましては英語の話せない俺を一人ぽっちにはしないだろう」
と安易な気持ちで約束をした。出発の日、StaffとMemberが見送りに空港まで来てくれたのはいいんだけれど、

「Rowdyさん、顔色が青いよ」
「急に無口になってしまったね」

"うるせんだよ、お前らは"…冷やかせられながら機上の人となる。
"ゲートを越せば、よその国"なんて歌謡曲ではないが、ゲートから搭乗口までの間(機内も)見渡してもカウボーイハットは私一人、そんな私に声を掛けたのがスチュワード、

「へイ!カウボーイ」
私が一番好きで響きのいい言葉だ。もしかして幸先よいかも。座席は真ん中の列の後方で座席の後ろが仕切りなっていたようだが、座っても落ち着かずキョロキョロと見渡すと周りは全部外人、もう機内はアメリカである。

「本当にアメリカに旅立つんだ」
エンジンの回転数も上がり飛行機は滑走路に向かって動き出していた。

「Tokiさん、動き出しちゃったよ」
「Rowdyさん、動かなくてはアメリカには行けないよ」

離陸体制にはいった、エンジンがフル回転、走り出した、機首が浮いた、ああついに飛んじゃった、後に戻れない。飛んでいる間は何していたんだろう、飲んでいたか食べていたのか、少しは眠ったんだろう、気がついたら着陸体制だった、緊張していたんだね。窓の外を見ると(機内の真ん中だから良くは見えないが)山は見えないし平らって感じ、空港は林の中にあったみたいだ。建物らしき物は見えなった。

 メリカの第一歩はサンノゼという空港でした。ここからローカルに乗り換えてダラス空港まで行くのだが、入国手続きしなくてはならない、税関の前には5,6人並んでいる。Tokiさんと離れたら大変、手を繋ぎたい位と思っていたのに無情にも
「トイレに行ってくる」
私から離れてしまったのだ。私は前に進む事も出来ずに後ずさり、帰って来るのを待っていたら、
「どうして進まないの」
「そんな事言われても、あたし困ってしまう」

Tokiさんが言うのには、
「前に進んで自分の番がきたら、お先にどうぞと譲ればトイレから帰って直ぐに受付が出きるでしょ」
その通りである。がその時にはそんな考えなど浮かぶ訳がない。てな訳で私の番がきた、ゲートの中に入り係りの前に立ったらベラベラ喋りまくるの、それが全部英語。チンプンカンプン、でも最後の言葉は分かったのだ。

「…………………Business」
「ああそうか、ビジネスか観光かを聞いているのだな、観光に来たと言えばいいんだ」

今度は観光と言う英語の言葉が出てこない、
「え〜と、え〜と」
舞い上がっているものだから思い出せない、するとゲートの傍でTokiさんが
「サイトウシンイチ、サイトウシンイチ」
と小声で言っているのが聞こえた
「あッそうだ、Sight seeingだ」
思い出した時にはすでに遅し、Tokiさんがゲートを越えて来てしまった。

"まだ呼んでもいないのに、なぜ入って来るんだ"と言わんばかりに険しい顔つきの係官、Tokiさんがパスポートを見せる。入国のスタンプが多いので不信がる係官"観光ではないだろう"と疑っている。

「俺達は馬に乗りに来たのだ」
と言っているが信用していないようだ。痺れを切らしたTokiさんが、
「え〜ッ面倒くせぇ、このバックルが目に入らんか」
言わんばかりにベルトの大きなバックルを見せたら、係官の険しい顔つきがにっこりと変わったのだ

「な〜んだ、それならそうと早く言えばいいのに。で何処へ行くんだ、なんて所だ」
親しそうに向こうから話しを掛けている、最後には
「Good luck」
と言われ見送られた。

「あぁ助かった」
私は訊ねた、
「Tokiさんが先に行けばよかったんじゃないかい」
「俺が先に入ったんじゃ待ってはいられないんだ、あそこに立ち止まってはいけないんだ」
そんな親心があったのか。
「これだけ気を使ってくれているのならこの道中は安心だな」

一関門突破、気楽なもんさと思っていたが。
国際線とは違って小さめの飛行機だ。通路を挟んで左に2席、右に3席、私は3席の真ん中、当然隣りは
「?」
さァ大変だ、席が別々になってしまった。

「帰ろうかな」
といっても歩いては帰れないし 、Tokiさんが気を使って席を替わってくれるように私の左隣りの人にお願いしたところ、
「私はここが好きなんだ」
と断られてしまった。

「ッたく気のきかない奴め」
私は不安であったが、同じ機内なので自分を慰める外にない。
「まっいいか、トホホ」

 行機は飛び立った。来るときのようにスチュワーデスが飲み物を持ってきたので、
「ウヰスキー」
手を伸ばしたら彼女は手を引っ込めた。何故?彼女は再び私に差し出すが、手を伸ばすと引っ込めてしまう。そして4本の指を立てて、
「4Dollars」

発音が良過ぎて分からない。でも何故か彼女は私にボトルを手渡して戻ってしまった。すると左隣りの人がゆっくりと
「フォーダラー」
と言ってくれたので分かった。本当は気のきく良い人だったのです。

「お金を取るの、今まではタダだったのに」
彼女が戻ってきて4枚の紙幣を見せながら
「4Dollars」

私の頭はパニック、手元には現金はない、咄嗟に出た言葉は
「オーノー、ノーマネー ノーマネー マイフレンドはバックバック」
夢中で後を指差した。通じたのか彼女はうしろに行って戻り"OK"と指を丸め私にウインクしてその場から去った。

 私はてっきりTokiさんが支払ってくれたと思っていたら100ドル紙幣しかもっておらず、彼女もつり銭を持っていなかったので"OK"となったの事。日本人でタダで飲んだのは私位かな?しかも初めての海外で、知らない事は良い事だ。 

VOL.16へつづく
 


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