俺のウエスタン人生バナー

トリックロープパフォーマンス
'99.4.24 15 EWPC Congressの後の
パーティーでトリックロープを披露する
Rowdy 

 ウエスタンBライン

  VOL.6 ROWDY

 人の寄せ集まりだが、確実に建設は進んでいった。
その日は、ハットの彼、奥さん、地主とその息子で仕事の手を休めて、コーヒーなど飲みながら雑談していた。その話のなか、実は俺より先に此の地を訪ねていた男がいるのを知った。

 その男は自らを「シェーン]と名乗って、なりきっていたという。俺はたずねた。

「日本人なんだろう、その人? 本名は? 何処から来たの?」

「あれェ、名前は何といったろう、何処から来たのかなァ、お〜い、シェーンの名前は 何と言っただろう」
奥さんに聞く訳。奥さんも、

「シェーン?私も知らない」

 まさしく西部劇の世界だ。突然やって来て「シェーン」と名乗って又去って行く。そして誰一人その男の素性を知るものがいない。遊びの中ではあるが真剣になって遊ぶ、それが夢の世界なのだ。

 一度も逢ったことはないが、「シェーン」という男に刺激され、自分もニックネームで呼ばれたらどんなに楽しいだろう。第一、呼びやすく早く覚えてもらえる。

「よし、俺もつけようかな、ニックネームを」

ハットの彼も、奥さんも賛成してくれた。

 映画スターの名前、西部劇の主人公、西部劇ファンなら主役級のスターとか、有名な歴史的人物の名前をつけるだろう、しかしこの先“列からはみ出した迷い牛ランチ”が有名になり、人がどんどん集まって来るようになったら、必ず主役級のスターとか、歴史的人物の名前を名乗っている者が来るだろう。

 そうなると、同じ名前が2人も3人もいるから、誰を呼んでいるのか分からなくなってしまう、それに一般的すぎて面白くもない。

  ランチの名前の時と同様、暫く悩んだ。そこで考えたのだ。今、俺は、何をやっているのか、何をしようとしているのか、それを!

 そうだ“列からはみ出した迷い牛ランチ”は、仲間を集めて、日本ウエスタンの道標を作る為、大西部へ隊列を組んで動き出そうとしている。

 隊を組むとなれば、隊長とか指揮官が当然いる。「ローハイド」も同じだ。隊長といえば「ローハイド」のフェバーさん。フェバーか、でも俺には荷が重過ぎる。むしろハットの彼のほうが似合う、そうか、ハットの彼をフェバーさんに見立てれば、俺は補佐役に回ればいい。

 国定忠治に日光の円蔵、清水の次郎長には大政、ギル・フェバーには、ロディー・イエツ。クリント・イーストウッドには、申し訳ないがロディになりきろう。

「よし!今日から俺はROWDYだ。」

 役者クリント・イーストウッドには程遠いが、心はいつもウエスタン、俺は、早速アメリカのハリウッドまで出向き、クリント・イーストウッドに面会を頼んだ所、快く承諾して頂き、彼に、

「私はローハイドの大ファンで、いつも見ています。この度我々は、日本ウエスタンを作ろうとしています。西部劇の延長の様なものですから、主役の気分でニックネームを付けたいと思いまして、あなたの演じたロディーに惚れこみ、ロディを名乗りたく、遥々日本から御本家の許可をもらいにやって来ました」

「遠いところ御苦労様だね。ロディーをね。うむ、君にピッタシだ」

 ここでふッと思ったのだ。俺、何時からこんなに英語を話せるようになったのかなァ、と考えていたら目が覚めた。

 名付けてはみたものの、最初のうちは、自分自身も周囲の人達も非常にテレ臭さがあって、暫くは呼んではくれなかった。

「折角付けた名前なのだから、みんな呼んであげなさいよ、ねェ、ロディー」

最初に呼んでくれたのが、奥さんだった。

 度はハットの彼の番だ。ここは補佐役の俺が付けなければいけない、補佐役の最初の仕事だ。俺がロディーならば当然彼はフェバーさんだけど「フェバーさん」では、「ローハイド」そのまま演じてるようで、よくない。ではどうする。

 この頃、日本テレビでは「太陽にほえろ」が爆発的な人気を誇っていた。
 我々以上の年代ならば、石原裕次郎は不動の人気ではあるが、年代が下がるにつれて知名度はいまいちだった。が、このシリーズで、再び石原裕次郎の世界をつくりだしたのだ。

 「太陽にほえろ」では、藤堂係長を演じ、刑事仲間からは「ボス」と慕われていた。

投げ縄 lasso カット ローハイドのフェバーさんも、Cowboy仲間からボスと呼ばれている。ハットの彼も多くの仲間の先頭に立ち、日本のウエスタンを引っ張っていこうとしているのだ。決めた!「ボス」と呼ぶことにしよう。ハットの彼が「ボス」で、俺が「ロディ」。

 こうして「ロディー」が誕生した訳なのであります。

 ところが日本でただ一人と思っていたら、関西にロディと名乗っている人がいる事を知ったのは、暫くたった後の事。西のRody(ロディ)と東のRowdy(ロゥディ)の違いあるから、まッいいか。

 “からはみ出した迷い牛ランチ”と、ランチの名も、ニックネームも決まり、クラブハウスも、雨露をしのげる状態までなってきた。これまで牧場作りに明け暮れて、メンバー全員で遊ぶ事を忘れていた。

 この辺で一息入れたらいいのでは、と思い、

「ボス、今年はアメリカ建国200年、7月4日は独立記念日、ましてや当日は日曜日と重なる。日本ウエスタンのスタートとしては、申し分ないから、ウエスタンカーニバルでもやろうよ」

「そうだなァ、ここもある程度仕上がってきたから、皆の労をねぎらい遊ぶ事にしようか。それじゃ、せめて床とベランダだけでも完成させよう」

 遅い時には、午前様まで作業が続く事もあったが、どうにか完成させることが出来た。

 ウエスタンカーニバルの開催にあたってメンバーを集め、ある程度の内容を検討したが、誰もが素人、大した事は出来ないが、やれるだけやろうという事となり、当日を迎えた。

 7月は梅雨のまっ最中、天候はあまり期待していなかったが、時折、雨がぱらついたものの、雨天は免れて、みんな頑張った。

 これを第一回ウエスタンカーニバルとして、毎年恒例にしようと案が出たが、7月はやはり天候的にあまり良くないので、梅雨明け後の方が安定するから、今回はオープニング記念として残し、毎年8月の第一日曜日を開催日にしようと決定した。

 ただ、俺は不満があった。ムードがないんだなァ、ムードを盛り上げる鳴りものがない、ウエスタンのお祭には、カントリー&ウエスタンのミュージックでなけりゃ、と。 しかし、レコードもカセットもないし、曲もあまり知らない、でも何故か、C&Wでなければと思っていたから「てんとう虫のサンバ」では様にならないよ。(ボスがこの曲が好きでね)

 第一回ウエスタンカーニバルは予定通り実行され、友人知人等で50人位集まったかな、初めてとしては上々のスタート、幾つかの反省点はあったが、次回はこれ以上にと意気込んだ。

 そして、年明けた、まだ春浅い頃、突然カントリー&ウエスタンを引っ提げたカウボーイ二人が現れたのだ。「てんとう虫のサンバ」をカントリー&ウエスタンに変えたのは、この二人だ。この二人と、その仲間の出現によって、グーンとウエスタンらしいムードになった。

 その年の8月、第二回目のカーニバルが開催され、約100人、次の年の第三回は、約150人と回を重ねていく毎に、参加者は増えていったのである。
 新聞、週刊誌、ラジオ、TV、とマスコミにも、登場するようになった。

“列からはみ出した迷い牛ランチ”を作ろうとした時に、ボスが、
「きっとマスコミにも登場するよ」バレル カット
と言った事が、本当になったのだから驚いたよ。

 ーニバルで競技(はちゃめちゃなバレルレース、ハット拾い)や、部班運動をやるんだ。その中のハット拾いでの出来事。

 地上から50センチ位に棒を蹄跡の内側に立て、その上にハットを乗せておく。馬で走りながらハットを取っていくタイムレース。
 俺の出番だ。
 ゲートから「よ〜いドン」でスタート。一本目は届かない、二本、三本失敗、残るは後一本、これを失敗したならば、面目まるつぶれだ。これぞと、思いきり手と体を伸ばした瞬間、拍車が馬の腹に触れた。馬は驚き後ろ足をこれぞとばかりに跳ね上げた。
 そのまま大地に叩きつけられるが、大の字にのびてる場合ではない。まだ体が宙に浮いている時に頭をよぎるものがあった。

 TV西部劇「バッファロービルの冒険」のタイトルのところに、飛び乗り、飛び降りるシーンがある、トリックライディングだ。経験したことはないが今がチャンス、素早く立ち上がり、馬に近づくと走り出した。
 俺はサドルホーンに飛びついた。うまく片手で掴んだ。グィッと体を引き寄せ両手で持った。ぶらさがった状態で両足を走る方向に着地、地面を蹴って飛び跳ね、うまく乗ることができたのだ。思わぬ場面をつくり、拍手喝采となる。自分ながら恰好よかったと思うよ。

 恰好よくないのが部班運動。ウエスタンで部班運動? 俺には抵抗があった。どうにかしてウエスタンらしいものはないか、部班は軍隊だ。軍隊はウエスタンでいうと騎兵隊。それならいっそのこと「騎兵隊」にしてしまえ。 グッドアイデア!

                                   VOL.7へつづく


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