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VOL.3 出逢い前回の訂正「ローハイド」の所で、画面中央に大きな木と書きましたが、最近発売されたビデオを見ましたら画面左側でした。記憶は当てにならないです。
1973年10月2日、その朝は紺碧の空高く、まさしくハイキング日和。俺は、職場の同僚と3人で中央線急行アルプス号に乗り込んで、一路八ヶ岳山麓にある、美しの森に向かった。
中央線は初めてではない。笛吹川の東沢渓谷の沢登りや、甲信岳の登山の時に、塩山駅から秩父の三ッ峰口まで縦走したことがある。
あの行程を今歩けと言われたら、「ノー」と答える。だって二十歳を過ぎたばっかりで、元気一杯の頃、一日80キロ走破、若いというのは宝だね。
大月駅を過ぎ、笹子トンネルを抜けるとそこは甲府盆地。360度山に囲まれている。
トンネルを過ぎた頃、車窓から振り返って見ると、山と山の間から、雪を被った化け物みたいな巨大な山が、頭を覗かせているではないか。何という山だろうと気になって、何度も振り返ってたら、遠ざかるにつれて、その謎が解明された。富士山だった。甲府駅を後に韮崎を過ぎた頃、右手前方に裾野を延ばす八ケ岳連峰(標高順に赤岳、横岳、阿弥陀岳、硫黄岳、権現岳、天狗岳、西岳、立場岳で八ケ岳)の雄姿か現われる。
一度、登頂してみたかった山でした。その手前には飯盛山(めしもりやま)がなだらかな稜線を描く。丁度、お椀に御飯を盛った形に似ているので名付けられたそうな、福島県の会津にある白虎隊で知られる山は、飯盛山(いいもりやま)と呼ぶ。
日野春駅を過ぎると、今度は左前方に、南アルプスの山々が連なる、鳳風三山(観音岳、薬師岳、地蔵ケ岳)甲斐駒ケ岳、北岳も頭を覗かしている。
北岳は富士山の次に高い山だそうです。車窓に流れる風景を眺めているうちに、八ケ岳の登山口、小淵沢駅に着く。小海線に乗り換えて清里に向かう。
途中右手に広がる大パノラマ、やや霞はかかっているが絶景なり、遠く申府盆地が見渡せ、山間にくっきり浮かぶ美しい山、どうみても富士山に似ている。
北海道の羊啼山を蝦夷富士とか、群馬県の榛名山を榛名富士と呼ぶように、その土地々々によって、郷土の山に富士を付けて呼んでいるから、間違って言ったら笑われてしまうのではないかと思い、小声で、
「富士山に似ているが富士山なのかなァ?」
と話合っているのが運転手に聞こえたらしく、
「甲斐の国で見る富士はもっとも美しい」
と教えてくれた。たしかに、頂上から裾野にかけて一筆で線を引いた感じなのだ。そんな光景を後にして清里駅に。一路、美しの森へと4キロ程の道のりを歩き始めた。
野郎3人が、美しの森にハイキングなんて柄でもないし、ロマンチックでもなんでもなんでもない。ただ、週刊誌に載っていた乗馬クラブに直行するのは気恥ずかしいし、乗馬クラブというものは、長靴とか乗馬ズポンとか堅苦しい感じ(週刊誌に気軽に乗れると書いてあったとしても)と思っていたから。
それに美しの森は女性ハイカーには人気のある場所なので、万が一つのチャンスが、なんて助平心も働いて。
雲ひとつない青空と、真っ赤に染まったナナカマド、木々も色とりどりで美しの森は美しかった。我々は駅に戻り小淵沢ヘ。この小海線沿線が、後に遊び場になるとは夢にも思わず通り過ぎた。
駅からはタクシーに乗り、乗馬クラブに向かう。
タクシーはクラブの事務所前に横付けに停まり、不安ながら降り立つと、事務所の中から品のある初老のご婦人が、
「電話くださった方ですね」
と、丁重に出迎えてくれたので、多少は心が和んだ気がしたその時、何処から現れたのか、口髭を生やかした、長靴と軍服姿のじいさんが立っているではないか。昔気質で頑固で融通のきかない人に見えたのだ。緊張したよ。「ありャえらい所に来ちまったァ。」と思ったよ。
「この方がここの教官で○○先生です。」
と、紹介されたものだから、思わず3人共キオツケしてしまった。「お部屋で着替えを済ませたら下りて来てください。」
と、言われ、返事も声を揃えて「はい」だって。部屋に入るなり
「おい、帰ろうか。」
「折角来たのだから、泊まるだけ泊まって帰ろう。」って、情けないね。着いたのが遅かったので、その日は一鞍で終わりにしてホットしていた時、藁を積んだ一台のトラックが入って来た。
ここの使用人らしき男女が3人降りてきて、積み荷を下ろし始めたその中に、テンガロンハット(以下ハット)を被ったリーダー格の男がいた。
「こうゆう乗馬クラブにもウエスタンの好きな奴がいるんだ。今晩話でもしてどれぐらいの者か試してやろう。案外格好だけかもしれんがな。」
と同僚に話しながら夕食を待った。○○先生を挟んで食卓について飲み食いしながら、
「君達は何処から来たのか?仕事は何をしているのか?」一遍通りの質問を受け、夕食を済ませて雑談をしていると、先程のハットの男が現れ、ここの頭で「△△」と紹介された。
「うちの△△はウエスタンが好きでねェ」俺は「ニヤリ」とした。そうでしょう、俺の周りにはウエスタンを語る人、遊ぶ奴は誰一人いなかった。
こうして同僚と馬乗りに来たけれど、彼等は、ウエスタンが好きで乗りに来た訳ではなく、ただ馬に乗る体験をしたかっただけなのだから。
俺は有頂天になって喋りまくった。西部劇の事、銃の事。でも敵はそれを待っていたんだなァ。こうゆう奴は此処で叩いておかないと後がうるさい。
「ところで君は銃に詳しい様だけど06という弾を知っているかい?」
と、きやがった。
「ウッ」この野郎、変な質間をしてきやがって、と思ってみても、答えられないんじゃ仕方ない。
「知りません」
「1906年に製造され、弾頭は何グレンで・・・」
なんて聞かされちゃってよ、完敗さ。赤っ恥じ掻いたよ。知ったかぶりは良くないね。でもさ、通常な人だったら多分恥じを掻かされたんだから、二度と来ないと思うが、気違いに付ける薬なしとは良く言ったもんで、初めて出会ったウエスタン野郎、妙に気が引かれる所があったんだろうねェ、彼に。
次の朝、彼は気分が良かったのだろう、俺に近づき、
「君、ちょっと僕の部屋に来たまえ。」
偉そうに、と思ったが、タベの事があるから負け犬が尾を丸めてって感じ。自分の部屋まで招いたのは、彼も又、この俺に通じる所があったんだと思うよ。その時から彼との付き合いが始まった。
○○先生は見た目と違って、飲み始めたらとても面白い人で、酔いが回るにつれて、
「おい、バカモン」の連発。
で、ついに「国鉄バカモンズクラブ」になっていた。多い時には15名位で3ケ月に一度の割合で乗りに行ったよ。
春は、新緑の林の中を走り抜け
夏の暑さに高原の風を迫い求めて
感傷的な秋の落ち葉を踏みしめながら
冬将軍の雪原をただひたすら走った走りながら考えた。一人でウエスタンをやってきて、最後は馬だと探し求めて乗ってはみたが、いまいち満足感がない、納得出来ない。ウエスタンサドルじゃなけりゃ西部劇じゃない。
段々エスカレートしていくと、まわりの仲間も威圧を感じて不気味なんだろうね、興味のない人には。一人去り二人去り、「国鉄バカモンズクラブ」も自然消滅で、気がついたら又一人ぼっちになっていた。「また、一人ぼっちか。」 いや、今度は違う。
「俺を分かってくれる奴がいる。」
そう思ったら、今まで恥ずかしいから、紙袋に入れて持ち運びしていたハットを、家から堂々と被る様になった。「行けば仲間が居るんだ、もう一人ぼっちではない。」
(日本ウエスタンクラブのメンバーを羨ましがり、半ば諦めていたのが。)そしてある日の事であった!いつもの様にタクシーでクラブに着き、料金の支払いを済ませてタクシーが土煙りを残して走り去った。
土煙りがスーっと消えたその時、目に飛び込んで来た光景は!!
VOL.4へつづく