俺のウエスタン人生バナー

著者近影’99.12著者近影’99年12月

 ウエスタンBライン

第三部 VOL.12 (No.1)   五本の指  

 部、二部と時代劇、西部劇、人との出逢いの話をしてきましたが、我がウエスタン人生は、すべて西部劇が原型で映画の中の主人公を演じてきたのです。
 しかし、時代の流れや、別荘などの宅地造成で活動範囲が限られたり、ウエスタン乗馬のマンネリ化を感じるようになってきました。
 そして一つの疑問を持ったのです。何故ブリティッシュ乗馬は、乗馬人口が安定しているのだろう? 歴史的なものか、同じ乗馬なのに。
 その疑問を解いてくれたのが、障害飛越(ほんの跨ぐ程度だが)を教えてもらった頃からだった。でも自分としては、あまり乗り気ではなかった。ウエスタンと何の関係があるのかと思っていたからである。
 しかし、教わっているうちにだんだん面白くなってくる。飛ぶ瞬間は、馬に初めて乗る感じで、落馬するのではないかという恐怖感、また、飛んだ後の優越感。いかに高く跳ぶか、これは技術と思った。そして他人より高く飛ぶ、これは競う事だ。競いあっての技術向上、これがあるから安定しているのだろうと思った。
 
これからのウエスタン乗馬は、競技をやるべきだ。
かといって俺に何が出来るのだろうか、知識があるわけでもない、語学でも出来るなら本場アメリカに行くか又は専門誌を読んでという手もあるが?
 “列をはみ出した迷い牛ランチ”を離れ、新天地を求めて歩き出したものの乗馬浪人、ウエスタンと名の付くクラブをRope片手に転々と渡り歩いたが、定着するまでには至らなかった。
 それには決まり文句があったからだ。
「馬が驚くから見えないところでやってくれ」
「うちではダメ」
Ropingなんてと失笑されていた。

 んだ挙げ句に、私は友人でもある関西の乗馬クラブのオーナーに相談、経営者の立場ではRopingというものをどう理解しているのか、日本では無理なのかを。
「うちとしては、認めているが、営業的に人口が少ないから、どうにもならない」
無理もない正直な回答であろう。でも、関西まで行って練習は出来ない、それならどうする自己満足するしかない。社宅近くの公園で変人(多分)と思われながらも、いつか本物が出来ることを夢に託して練習に励んだ。

 真夏の日差しが照りつけていたある日の午後、突然俺は、友達の所へ連絡を入れた。
「これから行きたいのだが、連れて行ってくれるか」
「そう、やっとその気になってくれたのかい、とにかく行って馬に乗ったらわかるから行こう。向こうも待っているんだから」

 葉にオープンしたウエスタンの乗馬クラブから、再三来ないかとの誘いがあったが俺は耳を傾けなかったのだ。何故今までこのクラブからの誘いを拒んできたのか。
「行っても仕方がない、断られるのだから」そういう思い込みがあったので、腰を上げようとしなかったのである。
 大袈裟に言うならば、“人生ってその時の波に乗る、乗らない”とで、ハッキリ分かれると思うんだ。数十年前“列からはみ出した迷い牛ランチ”と共にロディが誕生し、その流れに乗った。今ここで此の波に乗れないと乗り遅れると考えたら焦り出したのだ。
「これだけラブコールを受けているのだから行ってみよう、行ってみて選択すれば良い」
こうして私は重い腰を上げたのです。

 新宿で待ち合わせて首都高速、京葉道路を経て千葉東金道路へと進み、山田ICを下りていったが、本当は何処を走ってきたのかわからない。
 到着して最初に感じたのが、馬場が広い、自分が描いたイメージにぴったりだ。まさしくこれがウエスタン、まずは合格。

「良く来てくれました。これがうちで一番静かな馬です、試乗してください」
「ははァ俺をナメてるな、こちとら何十年馬に乗ってると思っているんだ。一番おとなしい馬に乗せてくれるって、上等じゃねえか」
ウエスタンの先輩、乗馬の先輩としての自負がありましたから
「よく俺の乗り方、見ておれよ」
と思って乗りました、走り出されました、終わりました。
「な、なんだこれは、何かの間違いではないか、こんなはずではない」
「ちょっと代わりましょうか」
乗り代わったら、走り出す気配もなく、爪を抜かれたライオンの如く従順に動くではないか、しかもルーズレーンで。ガーンと柱に頭をぶつけた感じ、私は達磨になった『手も足も出ません』不合格。

 場仕込みと聞いてはいたが、本気で本場で本物を学んで来るとは凄い事なんだ。ショックを受けたね、逆にこのショックが私を奮い立たせたのだ。今後このようなウエスタンが発展していくならば、やはり今この波に乗らなければ乗り遅れる、現実に背を向けたならば向けた時点で終わる。西部劇ごっこは、それなりに楽しかったが、マンネリに背を向けて渡り歩いた“我がウエスタン人生”終わりたくないのなら現実に向かって進むしかない。恥は一時期、お世話になろうと決めた。この時から私の口癖は
「馬に跨って、ン十年、ウエスタン乗馬歴、ン年」とね。

 フリーで半年くらい乗ったのかな、もちろんMemberになる事を勧められた。半年間乗ってきた中で、自分としての心は決まっていたが、私は条件としてRopingを理解してくれる事を第一にあげたのです。
「ロディさん、Ropingはウエスタンの原点ではないですか、大いにやってほしい。Ropingという目的を持っている事はとても良いと思います。この手の指を見て下さい。手の平から指へと繋がっていますよね、この指一本一本がウエスタンの種目と考えてほしい。カッティング・ローピング・トレイル・レイニング・プレジャーとします。手の平を乗馬の基礎とすれば、基礎さえしっかり身に付ければ、五本の指のうち、どれでも自分が目指す指を選べる。基本は馬に乗れることです。この手、この脚、この体で感じ、馬とのコミュニケーションをはかる事が第一と考えます」
「う〜ん、実に説得力のある言葉ではないか、理に叶う話である」
 付け加えるならば、出来もしないのにやれる様な事を言う奴はいっぱいいるが、一つ一つ実演しながら話をしていく、私が気に入った一つでもある。「口頭馬術ではない」
Gallop cowboy ただ単なるMemberを増やしたいが為の話術ではなく、真のウエスタンをやろうという意気込みを感じざるを得なかった。

 エスタン乗馬の先駆けである“列からはみ出した迷い牛ランチ”のボスもそうであった様に、おとこ心に男が惚れるとはこの事であろう、その場で握手。
 彼は、私が肩で風を切り、俺はCowboyだと思い上がっていた時、馬に跨っている姿を見て、
「上手いなァ」
と思っていたそうです。それが単身米国に渡り、必死で勉強してきたとは驚きである。
アメリカ合衆国 国旗 私の周りでアメリカに行った人はいましたが、本物を土産に持ち帰った人はおそらくいなかったと思います。

 握手してから五年後、彼は私との約束(Roping)を果たしてくれました。私の為にアメリカの友人を介してプロのRoperを探し、紹介をしてくれた事です。おそらく一生涯実現はしないだろうと思っていたあのアメリカ、しかもRopingを教えてもらいに、Cowboyの国に飛んだのです。このお話はまた後ほど......。

                       第三部 VOL.13(No.2)へつづく


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