Horseman's Column title

    VOL.27 乗馬社会の制度設計

                                                 

 2012年7月号


 今月のテーマは、乗馬社会の制度設計である。



 今日まで、ホースマンシップとかマナーとか躾などというテーマで機会ある度に話をしてきたが、これらのことを総括すればウエスタン乗馬界の正義と秩序ともいうべきことで、乗馬社会のあるべき姿としての制度設計について話をしていくことにする。

 最近制度設計という言葉を良く聞く、健康保険や年金制度などの話のときである。

 乗馬では、乗馬を進めていくための手法や手順における組み立てを、プログラムという言葉を使う。
 しかし、私の記憶では、エルドラド ランチがスタートするまでは、乗馬界でプログラムという言葉は使われていなかったように思う。
 何故なら、それまで乗馬クラブで馬をトレーニングするという思想がまるでなかったからである。勿論、乗用馬を繁殖の段階から生産をすることさえ、一般的ではなかったのであるから仕方なかったのかも知れない。

 乗馬クラブで馬に乗るということは、貸し馬に乗って健康や上達を目指したり、競技会に出場したりすることで、馬に跨っているのに、馬がどのように乗られることによって、何を学習してしまうのかなどまるで意に介さず、ライダーの練習のみしか視野にないか、ウエスタンの乗馬クラブでは、外乗でヤッホーと只馬に乗るしか頭になくて、ライダーの上達も蚊帳の外、況して馬の調教なんてとんでもない話だったのである。

 今では、誰もが当たり前のようにプログラムという言葉を平気で口にするが、本当に理解しているだろうかという疑問がしてならない。

 プログラムとは、ある目的に向かって馬を調教するときに、手法や手順や優先順を一定の法則に基づいた組み立てをいう。

 しかし、本稿では、プログラムではなくプログラムをも包含した制度設計という観点で、乗馬を考えてみたいと思うのである。






 私は、これまでどんな乗り方をしても良いし、どんな目的を持つかはライダーの自由だが、誰でもが乗り始めより乗り終わりの方が、馬がより従順になっていなければならないといってきた。
 つまり、馬をレイニングホースとするのかジャンピングホースにするのかの前に、馬の従順性を育むという思想心情がライダーになくてはならいのであって、従順でないレイニングホースやジャンピングホースが存在しても意味のない話なのである。

 従って、プログラムだけでは、ライダーの養成や馬の調教を語るとき、足りない部分があるように思えるので、乗馬社会を構成する全てが共通する価値観やベクトルや思想心情の制度設計を考えてみたいと思うのである。

 つまり、プログラムに基づいて馬に乗るときの思想心情として、何を最終目標とするのか、また大前提となるベクトルはとか、これらに関する共通のポリシーがなくては、馬の視野に立ってライダーやその社会を見たとき、乗馬社会は、正義と秩序のない単なる人間のエゴの為だけの無法地帯となってしまうのである。

 今やっていることが、その大前提に照らして意味のあることでなければならないのである。

 制度設計とは、プログラムを推し進めるときに、ライダーとしてのポリシーや善悪の基準や方向性など、またプログラムを進めるために必要だと考えられる馬のフィジカルの特徴やコンディション、性格や精神状態などのメンタルの状態や特徴、馬の学習のメカニズムや好悪や、フラストレーションや意思の働きのメカニズムやインセンティブ要因の折り込み方などのことである。

 つまり、乗馬における正義と秩序の制度設計をする必要性があるということだ。

 乗馬における正義と秩序とは、ライダーがイニシアティブを取って馬を慈しみ、特徴と才能を活かしてより価値のある創造を意図し、自由尊重の精神に則って他者の自由を牽制するのではなく、他者の自由を尊重し、自らの自由を律するものである。

 制度設計するためには、馬の運動やメンタルの動向や学習のメカニズムを知る必要がある。





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