Horseman's Column title

   VOL.7 「事件は、現場で起きている。
         会議室で、起きているわけじゃない。」 

 乗馬をするということは、馬をコントロールすることです。
馬をコントロールするには、馬とコミュニケーションする。
コミュニケーションは、緊張(Intension)と緩和 (Relaxation)で行う。
 この緊張と緩和とは、プレッシャーアンドリリースであり、それは馬とライダーの
接触感(Feel)の遣り取りで行われる。

 
しかし、乗馬のクリニックやディスカッションをすると、話が噛み合わないことが
多々あって、それがどうしてなのかが不可解で仕方ない。

・レインを左右均等に持ちましょう。(レインハンドのフィール)
・脚を主力として使い、手に頼りすぎないように。(脚のフィール)
・ハミを持ちっぱなしにしないように。(レインハンドのフィール)
・もっと馬を出しましょう。(シートと脚のフィール)
・馬を誘導する目標をしっかりとイメージして。(意識)
・馬がリラックスしているかどうかを意識しましょう。(意識)
・馬に求める運動を一つ一つ区切りをつけて、だらだらと連続動作で行わないように。
(意識)
・ハミを柔らかく当てましょう。(レインハンドのフィール)
・脚やレインのプレッシャーをいきなり強くしないで、1,2,3というように
 徐々に強くして行きましょう。(レインハンドと脚のフィール)
・馬を優しく扱いましょう。(意識)
・イニシアティブを採りましょう。(意識)
・一貫性を持ちましょう。(意識)
・自分の練習はどうでもいいから、馬がどう考えるかを気にして乗りましょう。(意識)



こんな様々な要求をライダーにすると、必ずと言っていいくらいに帰ってくる言葉は

・「やっているつもり。」(無感覚)
・理屈は分かるけど、体が反応しない。(無意識)
・乗っていない時は分かっているんだけど、馬に乗ってしまうと
 分からなくなってしまう。(無意識)
・一つのことを気にしていると、もう一つのことを忘れてしまう。
(レインハンドや脚が無意識)
・バランスをとるのに必死で、馬のことを気にしている余裕がない。(無意識)
・何が正しい馬の反応なのかが分からない。(無意識)
・最初は意識しているが、色々やっていく内に分からなくなってしまう。(無意識)
・癖になってしまって、気が付いたらそうなってしまう。(無意識)

何故注意した通りに出来ないのか、
出来ないにしてもやろうとしてくれないのだろうか。
分かっているならそうすればいいのに、何故できないのか?
そんなに高い技術を要するようなことをやれとなんかいっていないのに、
その人のレベルで充分に出来ることをクリニックしているのに、
何故改善されないのだろう。
こんな疑問が起きてどうしようもない思いが多々あった。

 そしてやっとその原因を突き止めることが出来たのです。

 それは標題にキャッチコピーとして、掲げたことで表現できる。
 「事件は、現場で起きている。会議室で起きているわけじゃない。」
 つまり、馬とコミュニケーションするといっても、そのコミュニケーションとは
どんなものなのかが問題だったのです。
 どのようにして馬とライダーは、コミュニケーションを採るのでしょう。
極論してしまえば、「馬とライダーの互いの五感の内の触感で、意思表示をしながら、
その疎通をしている。」ということが真相で、こんなことは当たり前すぎて、
今更意識するほどのことでは無くなってしまっている。

 ライダーは、馬に対して様々な要求をプレッシャーとして、馬に伝えます。
そして馬は、そのプレッシャーを何らかの意味あるものと受け取り、その要求に応える。
そしてまた馬の反応がライダーの要求通りなのかそうでないのかによって、
ライダーからのプレッシャーかリリースが再び繰り返されることになる。
 これらの全てのプレッシャーは、触感。
 例えば、このときライダーは、馬の反応が要求通りでなかった時、
大凡三通りの解釈を考える。
一つは、ライダーの要求が馬に正しく伝わらなかった。
もう一つは、馬が反抗していて、要求の意味を理解していても応えようとしない。
そして三つめは、馬が要求されているパフォーマンスの調教がされてなくて、
要求に応えられない。つまりライダーの要求の意味を馬が理解できない。
 ライダーが要求通りに馬が反応しなかった時、上記のように考え始めた時点で、
もう既に事件を会議室(頭脳)に、持ち込んでいるといえる。
 ライダーは、馬に要求をする時、何らかのプレッシャーを与えます。
つまり何らかの触感を感じながら、馬にプレッシャーを与えているわけで、
しかも馬の反応も触感として感じている。
例えば、馬の後肢を横に動かしたいという要求を脚でプレッシャーを与えた場合、
要求そのものもライダーが感じ取れる触感であり、馬が後肢を横にステップを
始めた時も、その後肢の動きをライダーは、触感として感じ取れる。
 この触感のやりとりがコミュニケーションであり、この触感が要求通りなのか
そうでないのか、正しいのか違っているのかを判断しなければなりません。
 
つまりライダーの要求は、会議室の段階(頭脳で考えた段階)では後肢の横への
ステップだが、どんな触感(レインハンドと脚)で馬にその要求を伝えようとするかを
意識した時、はじめて事件を現場に差し戻したことになり、馬とライダーとの間で
その触感を共有することになって、馬の反応が正しくても間違っていても、
更なるプレッシャーやリリースで、馬はその成否が判断できるし、ライダーも
また然りということになる。

 このように要求を会議室(頭脳で考えた)の段階で止めてしまって、感覚を意識する
ことを省略してしまうのは、それが日常的になってしまった現代人ならではの現象だと
いうことではないだろうか。
 馬に要求する時点でライダーの意識は、会議室に居たまま指示を送ってしまっている
のではないだろうか。

 例えば駈歩を馬に要求する時、内方姿勢を作り外方から脚を入れて行うとライダーは
言うでしょう。
ライダーはどんな触感を得るように脚を入れて、結果として駈歩を得る。と考えて、
その触感が要求通りなのか、そうでないのかをジャッジしなければならない。
 馬が違った反応をした場合、頭脳労働として、その原因を探求する。
その結果その対処法を考え出して、例えばもっと脚を強く使うとか、内方姿勢を作って
から脚を入れるとか、もっと馬を落ち着かせてとか、様々な対処法を考える。
頭脳労働とは、事件を会議室に持ち込んでいるということを意味します。
しかしここまでは自然な成り行きで、このこと事態が問題なのではありません。
 只この考え出した対処法を駆使する場合に、
例えばその対処法が「もっと脚を強く使う。」とすれば、どのような感触の強さに
するかというところにまで思考を巡らせなければ、会議室に居るまま対処法を駆使
しようとしているに過ぎなくて、その対処法を感触の段階まで、具体的にライダーが
やる感触のことまでに置き換えるようにして、その対処をしなければ、事件の解決を
現場に差し戻したことにはなりません。
もし感触の段階まで対処法を具体的にして対処したなら、その結果が良くても悪くても、
更に必要な対処をそのときの感触を手がかりにして、更なる方法を具体的に駆使する
ことを可能にして、この経験値がライダーの上達の課程において、
繰り返され積み上げられる。
「事件は会議室で起きてのではなくて、現場で起きている。」ということになれば、
つもり乗馬からの脱却の第1歩になるに違いありません。



著作      2007年8月20日

        土岐田 勘次郎

  


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